日: 2024年6月10日

2024/4/28 キミに贈る朗読会『春とみどり』

4/28@TOKYO FMホール。漫画原作の朗読劇。この日の演者は前田のかおりん、山根のやや氏、土屋李央さんの三人で、昼夜二公演だった。

 この朗読劇の開催を知ってから原作『春とみどり』を読んだのだけれど、丁寧な手ざわりが好印象の素敵なお話で大好きになってしまっていたので、この原作を朗読劇で表現するのか楽しみにしていた。そのため、初見の1部では原作からどうやって朗読劇に落とし込んだのかとかそういった朗読劇の構成部分の味わいを強く感じることとなり、作品の世界に浸れたのは2部になってようやく、という感じ。
 
 原作のあらすじ↓
 人づきあいが苦手で、どこにいても居場所がないと感じているみどり(31)。ある日、母親からの電話で中学時代好きだった親友・つぐみの死を知ったみどりは、葬儀へと出向く。中学時代、自分に居場所を与えてくれたつぐみの死を受け入れられられず、ひとりうつむいていると、声を掛けられる。見上げると、そこには中学時代と姿が変わらないつぐみがおり、思わず駆け寄るみどりだったが、少女はつぐみの娘の春子で……居場所がないみどりと居場所をなくした春子、そんなふたりが織り成すセンシティブ同居譚。(引用元:https://comic-meteor.jp/haru/)

 配役も事前に発表されており、前田さんがみどり、山根さんがつぐみ、土屋さんが春子さん。お三方がどんな演技をされるのかあれやこれやと思いを馳せていた。だから当日、いざ開演を迎えてから、演者の方々がそれぞれ第一声を発するその瞬間までとても緊張していたし、一番固唾をのんで見守っていた時間だったかもしれない。

 朗読劇はみどりの語りからスタートし、回想のなかのつぐみ、葬式での春子さんと三者が登場していく。つぐみさんのお声が明るいカラっとしたものだったので、やはり春子さんも明るい系統かな?親子やし?などとそちらに重心を傾けて身構えていたところ、実際の春子さんの演技では土屋さんの地声に近い声をしていた。なるほどね!了解!!自分の中の想定と相手の演技プランに差異が生じても生じなくても楽しいので、事前に想定を立てた時点であとはどうなっても良かった。
 
 朗読が始まってすぐ目についたのは、脚本がペラ紙に印刷されていたこと。譜面台に台本が束になって置かれていて、演者はそれを見て朗読を行う。そして、朗読が進むごとに一枚一枚、ペラ紙をステージ上に投げ捨てていくのだった。そんな光景をみたのはこの日がはじめてだったし、積もってていく紙たちの様子をみて、時が逆向きに進むことはないことを身体で味わった気がした。

 冒頭、母からみどりへ電話がかかってくるシーンを全てみどりのモノローグで処理し、つぐみの親族も基本モノローグに変換していたところで、この三人以外は登場させない方針なことを承知つかまるのだった。
 基本的には原作からの引き算で朗読劇のシナリオは構成されていたのだけれど、つぐみと春子の家の片付けをするシーンでは、つぐみからの留守電がまだ残っている場面が追加されている。原作から追加された場面で、突然の別れの生々しさと臨場感がたっぷりで、朗読劇ならではの足し算に天晴だった。

 朗読劇全体を通して強く印象に残ったのはクライマックス、みどりがつぐみの遺した手紙を読むシーン。つぐみという人間の核心が明かされる場面であり、朗読劇でここどうなるのかな!とわくわくしていた部分でもある。朗読劇ではつぐみの独白という形で表現され、山根さんによるおとなになったつぐみのゆっくりと語るような演技がすごい…すごいよかった。それだけでも大満足だったのだけれど、そこから畳み掛けるかのように、手紙を全て読み終えた山根さんは役目は果たしたと言わんばかりに二人の演者を残して舞台を去るのだった。その演出に度肝を抜かれてしまった。
 この演出について、手紙を読み終えたみどりはつぐみへの思いに一つケリをつけられたのかな(思い出のつぐみが顔を出すことはなくなったのかな?)と自分は受け取ったのだけど、これは人によって受け取り方が違いそうで気になるところ。

 二人の関係を描くうえで、三人目の存在が大事というのはよく言われていることで(要出典)。原作でも春子さんのおばさまや、友人、みどりの職場の人がその役割を担っている。職場のあらあらうふふおねーさんがみどりさんの変化を映す鏡になっていたのが印象的だ。
 対して、この朗読劇は一生二人で展開される。舞台上に3人いるけれど3人が揃うことはない。一人死んでるし…。原作から3人目の存在がオミットされたぶん、原作にないモノローグが多分に加えられている。なんだか百合漫画みたいだというのはおいておいて、必然的に内省的な印象が強くなる。原作で描かれていた二人と外部の人々とがつながるシーンは、読者が一息つけるポイントにもなっていたことを改めて実感する。
 もともと別れからはじまる物語とはいえ、ほがらかさもあった原作に比べると、前述のシナリオの構成面や脚本投げ捨ての演出に加えて、かおりたむの切実なみどりの演技の影響もあってか、切なさや寂しさが強く感じられた。そのぶんラストシーンの明るさやあたたかさは原作以上に強く感じられたのはとてもいいところ。
 構成演出演技、全てにおいてブレがなくこの朗読劇のこの座組で表現したい春とみどりはこれだったのだ、と素直に受け取ることができた。個人的には学校のシーンの春子さんとかも見たかったけどね。

 春子さんの演技について。みどりの「お友達として…」って言葉に春子が噴き出すくだりが暖かくて笑顔になっちゃうのだけれど、そこから春子のお声のトーンが明るくなった気がして、それも二人の距離感の接近を感じてしみじみと好きなところ。あたたかい。
 つぐみがのこしたカーテンの一幕で、涙腺が決壊してしまう春子の演技がとても良かった。好き。つぐみは寂しさを抱えていて、その結果居場所を探して家を飛び出した。春子さんも家につぐみさんがいないのが当たり前だった。でも春子さんはつぐみのような飢えはなく、真っ直ぐに育っている。そこにつぐみさんは忙しくても懸命に子育ても頑張られていたのだなあ…と感じられて、カーテンのシーンが大好き。

 土屋さんの衣装が白と黒を基調としたもこもこジッパージャケットで、なんだかロクサス(キングダムハーツ)を思い出した。さすがに私服じゃないらしかった。どういう意図が込められていたのだろう。  

 終演後のちょっとしたアフタートークでこの朗読劇にあわせるならこの香水だよね…×3をした結果三人とも示し合わせたかのように同じ香水を選んでた話がとても素敵に感じた。自分ならどんな香水を選ぶだろうか。香水使ったことないけれど。