2024/5/5 朗読劇『若きウェルテルの悩み』

 1週間ぶりのTOKYO FMホールで1週間ぶりの朗読劇。この日も土屋さん目当てだったのだけど、この1週間で朗読劇北京朗読劇と3つも異なるイベントがあり、だいぶ充実した黄金週間だった。ありがたい。
 この朗読劇では村瀬歩さんが主演を務められており、カッコいい低めのお声の演技をされていたのでラグナクリムゾンだ!とキャッキャしたり、星見プロに所属していた時期もあったので石谷さんをはじめて拝見できてキャッキャしたりしていた。
 名作を題材とした朗読劇だったのだけれど、恥ずかしながら原作を存じ上げてなかった。さくしゃのなまえだけしってた。パンフレットを読むと悲恋モノと書いてあり、悲恋モノといえば、個人的には『太陽の塔』(森見登美彦)が人生の一冊くらいの存在だったのだけれど、何となく感じるところがあり終演後に「太陽の塔 ウェルテルの悩み」でパブサかけたらいくつかヒットしたので、この感触はそこまで間違ってないんだと思う。


 若き青年ウェルテルが素敵な女性シャルロッテ(但し婚約者持ち)へのままならぬ恋心に翻弄され、自ら命を絶つまでのお話。
こうかくと重苦しい話に聞こえるし、実際、はかなくも悲しい恋物語なのだけど……。




 結論から正直に言ってしまうと、ウェルテルの挙動が本気で演者を好きになって極まってしまったブレーキのきかないオタクの奇行のように感じてしまい、これオタクのお話なんじゃないか?と脳が判断したのか、朗読劇を聞いていてめちゃくちゃ面白くなってしまった。理性が効かない低所得のオタクとしては身につまされる思いもあり、そういう意味でも見応えのある朗読劇だった。ひたすら口角が吊り上がっていたのでマスクがあってよかった。

 序盤でシャルロッテ(以下、ロッテ)がウェルテルにかけた「明日もいらっしゃるのでしょう?」という言葉がもうすごいダメだった。オタクにそんなこと言ったら毎日通うに決まってるでしょ!!!!!実際にウェルテルは毎日通った(いわんこっちゃない)

 物語が中盤に差し掛かるとウェルテルは遠くの土地に移住する。ウェルテルはロッテから離れ、労働に勤しみ、真っ当な道を進むように見えたのだが……。このときのウェルテルはオタクとしては終わりのはじまりだけれど、彼の人生にとっては間違いなく良い方向に進むものだったので、頑張れ…! もう戻ってくるな…! と手に汗握りながら応援してしまった。オタクなんてやめれるならやめたほうがいい。とはいえ結末は冒頭で判明しているので、いつ破綻が訪れるのかそわそわしていた。結局現場というかロッテのもとに戻ってきてしまったときの”終わり”感は強烈なものがあり味わい深かった。
 作中、ウェルテルはそんなことしちゃだめだよ!出禁になるって!!(オタク目線のきもち)というムーブを結構、いやかなりする。そんな行いを経ても、ロッテはウェルテルのことを大事な友人として想っており、それは素敵で貴重なことなのでは、と正直感じてしまっていた。別に恋仲にならなくても、末永く交流して人生送れたら楽しいし幸せじゃん、など思っていたのだけれど、これは現代の価値観で見てしまっているなとも感じる。
 終盤、あれだけ煩悩に振り回されたムーブを重ねたウェルテルは最後までロッテに慕われていたことが判明する。ロッテは夫にも誠実であり当然きちんと愛していて、その上でウェルテルも友人として慕っていた。だからこそ、明らかに挙動がおかしくなりつつあるウェルテルとの距離が近くなりすぎることを恐れて、ひとまず、落ち着いて、距離感を再構築するために、いまは(すこしだけ)離れることが必要だと判断し、ウェルテルにそのことを告げた。その結果、ウェルテルはメンブレして銃で自死した。

 ウェルテルが死に至ったとき、彼の手にはロッテから贈られたピンクのリボンが握られていたという語りでオタク君さあ…って思ってしまった。ちなみに、ロッテの身につけていたリボンをウェルテルがほしいとお願いした結果ロッテからウェルテルに贈られたものである。
 ウェルテルが自害に使用した銃は、防護用の銃がほしいから君の家に飾ってあった銃貸してよ!とロッテの夫にお願いし、ロッテの夫は過去のトラウマから銃を一切持てないので代わりにロッテが直接その手で持ち運んだ銃である。要するにウェルテルはロッテが運んだ銃で死のうとして、成し遂げたのであった。オタク君さあ…。
 
 そんな感じで、最後までジェットコースターのように楽しく見てしまった。こんな受け取り方を、自分の感性として受け入れていいのだろうか。なんか…悲恋モノを面白く味わっちゃいます!wみたいな感じで超嫌なんだけど、でも本能的にそう感じてしまっているのも確かだ。どうしてこうなってしまった?責任者はどこか。
 とはいえ、物語の最後でウェルテルの死とその有り様を聞かされてパニックになっているロッテはいたたまれなかった(その演技も良かった)。なぜあんなにいい人がつらい思いをしなければならないんだろう。

 この日の土屋さんは白いドレス姿。物語でも登場したピンクのリボンを身に着けられていた。そして、お髪を結ってまとめられており、上品で美そのもの。お首があまりにも綺麗。好き。ウェルテルが気を狂わせてしまうのも納得のお姿だった。まあ、立ち位置が座席の対角線上で、朗読中は横顔しか見れなかったのだけど(横顔も美しかったので良かった)、それでも見惚れてしまう美しさだった。
 この日の土屋さんの演技は気取らない上品さと包み込むような優しさが満ちあふれていて素晴らしかった。脳に優しい声。
 とりわけ、ロッテが「わたくしドイツワルツが大好きなんです!」と言葉をかけるシーンは珠玉の演技だった。朗読を聴いていて、可愛すぎてわ~かわいい!!!って思った瞬間に作中でもウェルテルがかわいい!と反応していたのがとても素敵な体験で。あの可愛さは作品で要求される必然的な可愛さなのだけど、その可愛さを確かな説得力をもって提供できるのだなあ……。プロの仕事を感じる。
 終盤、ウェルテルのムーブに対して困惑していたときのロッテのお声も、彼女の誠実さと、複雑な胸中が表れていた。なんとか絞り出した「どうして私なんかを…?」という言葉が耳に残っている。そんな姿も魅力的なんですねえ!

 そうしてこうして朗読劇を見て、好きになってもよい(むしろ好きになるための)存在であるアイドルという概念は人類を救っているのだと強く感じた。アイドル文化が花開いている現代のオタクは幸せかもしれない。アイドルをしている方々に感謝したい。けれど、現代でも本当に本気で演者を好きで恋してしまった人はウェルテルと同じように苦しいのかも。ウェルテルみたいなヤバいムーブしたら出禁になるし、行動に歯止めがかかってストッパーになるのではないでしょうか。なんの話?

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