FINAL FANTASYXIV 黄金のレガシー
数日前にメインストーリーをクリア。今はトークンを集めながらだらだらとウコギを伐採している。木材が飛ぶように売れるのだ。現実でもこれくらい売れてくれたら、花粉症なんて存在しないのに。
黄金のレガシー。いい旅だった。好きだな。
物語の前半は、未知の世界を歩く素朴な楽しさが大いに詰まっていた。その土地の歴史に触れ、文化に親しむ修学旅行のよう。そうだ、僕って知らない土地をうろうろ歩いて回ることが好きだった。そんなプリミティブな気持ちを思い出せた。世界を救うような、切羽詰まった旅でないことが、自分にとって良かったのだと思う。
それに、現実だと他国を訪れて旅をすることって、私のようなインドアオタクからすると、どうしてもハードルの高いことだ。言語の壁に治安や衛生面の不安はどうしてもついて回る。近場の海外に行くときでさえそう感じたのだから、もっと遠くの土地ならなおさらだ。だから、ゲームのなかで世界を旅する感覚を味わえたのは幸せだった。新生エオルゼアを遊び始めたころはエオルゼアの世界を歩いているだけでも楽しかった、懐かしい記憶だ。
冒険の後半は自分の感受性を問われるようなお話が続いた。なぜ生きるのか?の話をしていた暁月のあとに、そもそも生きているってなんだろう?と改めて問われるのは、これからの10年を始めるにふさわしい出発点に感じた。
結局、生きてるって何だろうね?という答えは各々の胸に託されている。これが生きてる、あれが生きてる、こうしていれば生きている、それはもう生きていない。色々な考え方が作中で示されるけれど、それはあくまでそれぞれの生きてきた文化や世界に根ざした考え方で、作中で答えが出るわけではない。
黄金のレガシーはこれまでのFFXIVの拡張パッチのなかでもとりわけ、作中で描かれたこと・ものに対してあなたはどう思うか?をこちらに委ねてくれている作品のように感じる。
物語のクライマックス。私達は何も悪いことをしていない人々の存在を終わらせることとなる。世界を守るためであるとはいえ、これまで人を殺めたことはいくらでもあるとはいえ、ついに一線を超えたな、と感慨深くなってしまった。
ラスダンのBGMが好きだ。vitaで買って冒頭だけ触って放置しているFF9をsteamで買い直したので遊んでみるつもりでいる。
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