2025/7/20 Reading Caravan『夜声』 -1st night cruising-

 この日は中野のスタジオあくとれで鈴木区さんの舞台を見て、そのあと土屋さんの出演する朗読劇へ。箱は門前仲町のHYPERMIX。あんまり朗読劇って感じの会場じゃない気がした。
 夜に公演がある、夜のお話、らしい。(17時開演)(遮光度の高くないカーテンから伝わってくる外の明るさ)

あらすじ↓
配信者とリスナー。姉の友達、友人の妹。付き合いが終わりかけの女ふたり。スカジャンにセーラー服の元女子高生と女子高生。4篇からなる夜の時間帯に繰り広げられる女の子と女の子の話。


 会場がアホすぎて場内がどう見ても昼間の明るさだったけど、前説で目を閉じても良いよ〜と言われたので瞳を閉じて朗読に臨む。瞳を閉じただけでは明るさが瞼を貫通してきたので手で瞼を覆う。こうするとさすがに、暗闇の中だった。
 角田光代の『誰かのことを深く愛してみたかった』が好きなんだけど、都市で生きる人と人の一対一の関わりを描いているところが、今回の朗読劇の内容には通ずるものがあった気がする。女と女でやってくれるのがとても自分向きでありがたい。
 この世界に確かに存在するのかもしれない人々に思いを馳せられるような物語は結構好き。4本目のお話は架空の病気に罹った女の子の話であるんだけど、存在してる感じは確かにあって、自分はこのお話が一番好きだった。天気の子っぽい(これは大嘘)ので。

 細かい演技とかの話をしたいのだけれど、具体的なセリフというか、土屋さんの演じて口にした言葉、文章をなぜかそのまま思い出せない。こんなこと今までになかった気がする。
 でも話の内容も展開も覚えてる。演じるお声を聞いて、自分の瞼の裏に結ばれた像のことはよく覚えてる。ただ、具体的にどんなセリフ言っていたのかほとんど思い出せないでいる。目を閉じ、耳だけに感覚を集中しているつもりだったけど、べつに記憶には結びつかないもんなんだな?ということにしておく。サンプル数を増やす気はない。

 土屋さんの演技で覚えてるのは、4本目の「わたし世界に負けちゃった」あたりの痛いほど切実で消え入りそうな声色。土屋さんの絞り出すような演技がとても好きで、でもあんまり聴けるもんでもないので、この日聴けて嬉しかった。
 後から、土屋さんが朗読劇中に涙を流していたと聴き、それは目を開いておくべきだったかもと思う。同時に、土屋さんがどのシーンで涙を流していたのか自然と想像がついたし、その想像通りのシーン(上述の消え入りそうな声をしていた場面)で涙を流されていたらしかった。 
 この場面だけはどんな声色だったかはっきりと(これまでにないほどにはっきりと)覚えているのだけれど、涙を流していても決して声がうわずったり、裏返ったり、掠れて途切れたりしていなかった。しっかりとひとつひとつの言葉は聴き取れるのに、涙を流していること─実際に設定(?)でキャラクターが涙を流しているかはともかく、それだけ思い詰めた心情であること─は伝わってくる。聴きながら演技うめえ~になっていた。幸せです。
 このシーンの声色がまた聴きたくて、焦がれている。禁断症状がでている。朗読劇にはいくつも触れてきたけれど、ここまで強い飢え感を味わっているのは初めてで。思いだせないことも、一つの体験としてやっぱりいいのかも、ね。なんて。

 土屋さんの演技は、いま、この人がどんな状況で、何を思っているのか、相手との距離感だとか。しっかりと声色で伝わってくる、気がする。
 演じる役の感情を伝えるためにコントロールされてる演技は、感情のままに出力されているのではなくて、その感情を伝えるための演技として出力されている、気がする。繰り返しになるけれども、涙は流すし、声色もからもその涙が伝わるけれど、決して声が上擦ったり変なところで掠れたり、裏返ったりしない。しっかりと言葉は聞き取れるし、伝わってくる。そこに物語の外で、演技そのものに感動する。ありがたいことだ。

 終演後はめっっちゃつかれていた。魂の一回公演で助かったかも。
 疲れたけど、楽しかったし、次があると嬉しいな。瞳を閉じて聴く朗読劇は楽しかったけど、やっぱり声によらない部分の演技を楽しむのも好きなことがわかったから、次は目を開けていたい。

あと次があるなら頼むから朗読に集中できる会場がいい。頼む。


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