2026/04/08 SFジャズ朗読劇「プロトデウスの方舟」

平日、昼のあうるすぽっとは半分以上埋まっていた。ド級の平日にこれだけの人数が予定を入れてきている。結構すごい。

あらすじ↓

『帰還するはずの地球が、存在しない──!?』

荒廃した地球を救うため、重要任務を終えた4人のクルー。
彼らを乗せた宇宙船には
最新鋭AIナビゲーションシステム〈プロト=デウス〉が搭載されていた。

キャプテンが帰還命令を下すと、”彼”は静かに告げる。
「帰還座標に該当する星は存在しません」

混乱と不安に揺れる船内。
アンディ、キアナ、レオ、ケイ───
信じ合っていたはずの仲間たちの間に、いつしか芽生える不信と疑念。
追い打ちをかけるように起こる危機、明かされてゆく過去、そしてまた事件が……。

彼らは果たして、無事に帰還し、人類の未来を守ることができるのか?
終焉と開闢のはざまをゆく〈方舟〉で、クルーたちが織りなす、愛と絆の物語。

(引用:https://sfjazzreading.com)

今あらすじを読み、めっちゃ書いてあるやんになった。密室SFミステリー←そういう謳い文句なんだ。ジャズSFとしか認識してなかったな。

さておき。感じたこと。お話とか、演出について。

 シナリオは堅実なお話。納得感のある感じ。納得って大事だよなあ。プロへメも映画にあたって地道なSF考証部分はオミットされてるときくし、そこはメディアの違いなのかも。早口で蘊蓄を語ってくれてる感じのやつもいいけどね。この朗読劇も設定考証部分(SFギミックうんちく部分)はさらっと投げ捨ててドライブ感に寄せていたと思う。

 ジャズと朗読劇が共演というよりは交互に(転換として)使われていて、そこまで新感覚ではなかった。最後のシーケンスの惑星へ全速前進するシーンで芝居とジャズ演奏が遂に組み合わさったのはカタルシスはあったけれど、個人的には全編通してこれが見たかったという気持ちにもなってしまう。でも、伸びしろなのかもと思えば、いいのかも。

 物語について。冒頭、つかみの部分でAI氏が”帰る座標にあるはずの地球がない”と言い出したあとの「それってどういうことか聞いてるの!」とか「冗談はやめろ!」とかAIの故障を疑うパートが長く感じた。AIのこと、信頼しすぎでは?とこのとき感じる。AIに全てを任せて宇宙ミッションをやるの怖いな〜という気持ちがあるのだけれど、作中の4人は全幅の信頼を置いてるようで、少し違和感があった。

 作中に登場するべらべら喋れる最新鋭AIを思うに、宇宙開発が結構進んだ先の未来なのかなあ、そしたらまあ、めちゃ大きなミッションでなく、移動に往復スリープ2年、実働1年の大規模なプロジェクトではあるけど人類の命運を賭けたものではないのかも。なのではちゃめちゃに厳しい選考過程を経た人選ではなくて、あの世界のそこそこ一般的な人間なのかも?と思いながら眺めていた。

 そうこうして、いろいろあって、機体が損傷して追い込まれたところでAI氏がプロジェクトの真の目的を種明かしする。消滅する地球から他の星へ、方舟として宇宙船と人類(とか定住できるだけの何かしら)を送り出すミッションだったのだとか。
 方舟がタイトルに入っているし、まあそこまで驚きの展開!というわけではなかったのだけれど、なんでそんな貨物や燃料の量とかの把握がAI任せなのか?とか色々な疑問符に納得が用意されていたので、素直に飲み込める感じになる。仮に乗組員がみんな超エキスパートのAIに任せきりにしない人間だと、3年間のミッションの宇宙船に40年以上もとべる燃料が詰め込まれている時点でこれおかしくない?と気づいてしまいそうだし。

 その後、カウボーイビバップのようなジャズ演奏と宇宙船の操作シークエンスがハーモナイズされたシーンがあり、なんやかんや人死もでるけど、人類は新しい惑星に降り立ち、なんのかんの生命を次の時代に続けていくのだった。そのたどり着いた星を地球と呼び、命が続いているというナレーションをすることでもしかしたら今の我々の世界に繋がっているのかも、と思えるオチになってるのはそこそこ好き。

 この朗読劇、結構古典的なSFだなあと感じつつも、人とAIの関係という意味ではどこまで信用するのかしないのか、という面で現代のAIに即したお話だったのかも、と振り返ってみると好印象になった。今回の乗組員に対しても極秘のミッションなら確かにAIに管理された宇宙船の方が向いている気がする。
 同時期に地球を発った宇宙船には、きっと同じようなミッションを託された舟がたくさんあるのではないかという気もする。そしたら長い年月を経て広い宇宙のなかで人と人がまた会えるかもね、みたいなことも思ったりする。
 あれこれ想像が膨らむ、良い朗読劇でしたわ。

 お芝居のこと。

ヒリついてるお芝居が演者の皆様が上手くて。意図されていないところで弛緩することはなく、きっちりと密室サスペンスになっていた。吊られてる感じ。ピリピリした空気感。
 根本的にそれぞれの演者の方に出番が等分されているような気がして、それもなんか朗読劇用のオリジナル作品として、きちんとしている気がする。

 土屋さんの演じられていたキアナさんは、極限状況に放り込まれた一般人のように、ヒステリックな叫び声のシーンがとても多く、冷静でいない様子がありありと伝わってきた。キアナ氏は自分の人生を大切にしてて、研究のために全て投げ打てるようなエキセントリックな人間ではないというのが節々から感じられた。
 それでいて、冒頭や合間のシーンなど、事態がちょっと落ち着いてるときの優しい様子は、キアナさんって普段はこんな感じなんだろうな…と感じられてまたどうしようもなく寂しくなってしまった。
 彼女にもきった趣味があって、地球に帰ったら続きを楽しみにしてるドラマとか小説とか、そういう当たり前の日常があったはずなんだよな…とありふれた人生に思いを馳せてしまった。そういう、彼女の人生に思いを寄せてしまうのは、人間を感じられる(声に人生が滲むような)土屋さんのお芝居だからこそだなあと感じたりしている。素敵なお芝居に感謝。

今回のお芝居で印象に残ってるのは、キアナさんがコックピットにこもって独断専行して地球に戻ろうとしたシーンのこと。
 このシーンでは独断専行しているキアナさんが過呼吸になる(土屋さんが過呼吸のお芝居をしている)。
 その過呼吸のお芝居が急に鎮まりかえったので、あっこれ意識薄くなってるな…?もしかしてコックピットの酸素使い果たしたりしたのかな?空気抜けてる?とかあれこれ考えていた。(ヱヴァ破でそんなの関係ないよしていたシンジ君の意識が落とされるシーンみたいな感じ)今回の作中でもレオ氏が実際にコックピットに何かやって意識を落としてたのだった。

このシーン、きちんと状況が演技で伝わってきているし、土屋さんの声によらないお芝居の力量によるものだなあ〜と感謝の気持ち。


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